翡翠と奴奈川姫伝説
『沼名川(ヌナカワ)の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 得し玉かも
あたらしき 君が 老ゆらく惜しも』
翡翠の産地 糸魚川がある、越の国にいた、美しく賢い、と評判の高かった奴奈川姫(ヌナガワヒメ)のために歌われた歌です。
この歌は万葉集巻13で歌われ、こう解釈されています。
『ぬな河(現在の糸魚川姫川)の底にあるという不老長寿のうるわしい玉(翡翠)。探し求める玉(翡翠)。川底から見つけて得られる玉(翡翠)なのだろうか。手に入れて君に贈りたい。玉(翡翠)のような君が年をとって老いるのが、ほんとうに惜しい。』
奴奈川姫は神代の時代、糸魚川周辺と特産品である祭祀具「翡翠」を支配していた巫女王です。
姫の賢く美しいとの噂を聞いて、出雲の国 大国主命(出雲大社の祭神)がはるばる当地方に訪れ、求婚を申し込んだと言います。姫は大国主命に歌を贈答し一日後に求婚を受け入れ、結婚したと伝えられています。二人の間には諏訪大社の神「建御名方命」が生まれたとされています。
神話が物語るように大国主命を奉る出雲大社本殿の裏の真名井遺跡からは、日本でも最高の品質と思われる翡翠の勾玉が出土し、大社に保管されています。
古代玉作りの里 糸魚川
糸魚川は縄文時代から古墳時代まで、連綿とヒスイという硬い鉱石を、様々な形の玉に作ってきました。鰹節形の大きな珠(大珠)、半月形の勾玉、管玉、丸玉など、時代によって形も異なりますが、当地方に産する滑石や蛇紋岩、硬玉(ヒスイ)を素材としています。生産加工した遺構や、加工に必要な砥石類も多く、加工途中の未成品も多く伴出しております。
これも姫川を中心にフォッサマグナと関係した地質構造などにより、さまざまな鉱物原石が産出するからで、それらに原始、古代から、海岸や川底に美しい色、輝きを持つ石に魅力と不思議さを、古代人は日常生活の中にいち早く取り入れました。加工製品は不思議な魅力をもって他の地域の族長や呪術者に珍重され愛用されました。その結果、ヒスイ玉は北は北海道から南は九州にいたるまで伝播していきました。